理想通りではなく帝王切開のお産でも、これがベストだと納得(40代・女性)

私が乳ガンを発症したのは、30代半ばのことです。手術後から始まったホルモン治療が辛く、薬に頼る治療をやめて、内在する治癒力を引き出す代替療法に切り替えました。そんな折り、ボロボロになった心身を癒そうと、宮崎ますみさんのヒプノセラピーを受けたのです。潜在意識に繋がることで病気になった意味に気づき、人生を立て直すきっかけになりました。

それから間もなく妊娠しました。乳ガンのサバイバーである私の体内で、もう一つの命が育まれることは奇跡であり、「お腹の赤ちゃんは私を救いに来てくれたのに違いない」と思えました。ますみさんから催眠出産法について提案があったとき、「やってみたい!」とすぐに心が動いたのです。深くリラックスすると痛みが緩和されることも、本来の力を引き出して自然体で出産するということもすんなり理解できました。

呼吸法、リラクセーション法などを、ますみさんからマンツーマンでご指導を受け、妊娠中は自分自身と向きあい、お腹の赤ちゃんとも繋がることができました。胎話法で赤ちゃんとコミュニケートし、毎日、幸福感を味わっていました。

ところが、出産予定日まで1ヶ月をきった頃、血圧上昇と腎不全で母体が危険な状況に陥ってしまったのです。急遽、入院を余儀なくされ、お医者様からは帝王切開を進められました。「せっかく呼吸法やリラクゼーションを練習してきたのだから、自然分娩で産みたい」と思い、もう少しだけ様子を見てほしいと告げ、ギリギリまで待っていただきました。でも、私の体はすでに悲鳴をあげていたのです。

私はベッドの上でひとり静かな時間を持ち、赤ちゃんと胎話してみました。「もう少しお腹にいたかったのに、ごめんね。時間が来たみたいだから、出ておいで」 心の中でそう告げると、抵抗する気持ちやこだわりが消えて、「現実を受け入れよう」と腹をくくることができました。 結局、私の出産は、思い描いていた理想に反して帝王切開でした。それでも、2500gと少し小さめで生まれてきた娘と対面した時は、「来てくれてありがとう!」と愛しい気持ちがこみ上げてきました。

正直、しばらくは『ヒプノ赤ちゃん』を活かせなくて、とても残念な思いでした。あんなに練習して、体験を楽しみにしていたのに…。けれども時間がたつにつれ、自分の望んだ通りではなかったけれど、「私と娘にとってこれがベストだった」と納得できるようになりました。自分を責めず「結果オーライ」と思えたのは、やはり『ヒプノ赤ちゃん』を学んでいたおかげです。

人間、理想を追い求めるのは当然かも知れませんが、そうならなかったときに、「すべては完璧。これも私が選んだこと」と柔軟に受け止められると、自分を責め続ける呪縛から解き放たれ楽になれます。自分に対する信頼が深まることも、ヒプノの恩恵です。 

2015年1月で6歳になった娘は、多くを語らなくても、私の気持ちをわかっていることがよくあります。それは、お腹にいた時から繋がっていたからかなと思います。

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